保育士を辞めた人の本音体験談|新たなキャリアへの踏み出し方とは?

保育士としての経験―複数の保育園での違和感といじめに向き合う苦悩

保育経験10年のすみと申します。

それまでは別の保育園で保育士をしていました。

ただ、契約期間の関係で退職せざるを得ず、次に務めた保育園は、前園の園長の紹介で入った保育園でした。

紹介と言うこともあり、あまり不安に思わず通い始めたのですが、まだ雇用開始前のアルバイトとしての研修期間中から違和感が始まりました。

入った1歳児クラスの複数担任のうちのベテラン保育士が、子どもに対する圧がすごい。
まだ1歳児なので、できないことも多く、それをフォローするのが保育士の役割だと思うのですが、正直そのベテラン保育士の機嫌だけで、同じことをしている子にもとある子には怒ったり別のとある子には褒めたりするのです。
一貫性がないと子どもたちも混乱してしまいます。
ただ、一緒に組んでいる若手保育士たちはそれに対して何も言わないので、私も何も言うことができず、理不尽に怒られている子をただ見つめることしかできませんでした。

そして、違和感のまま、翌月から2歳児クラスの担任として働き始めました。
幸い、一緒に組んだ先生方はとても良い保育士さんたちだったので、保育の人間関係においては特に問題なく楽しく過ごしていました。

ところがある日、同じ学年の別のクラスの男性保育士が、同僚の女性保育士たちにいじめられているのではないか、そう思うようになりました。
ただ、少しきついものの言い方をされていたり、とか最初はささいな場面を見ただけだったので、確信は持てませんでした。

そしてついに夏、事件は起こりました。

ちょうどプールの時期で、2歳児たちは園庭で水着を着た状態で水遊びをするような形だったのですが2階にあるプールでは3歳児クラス以上の子たちが順番にプール遊びをしている状況でした。
男性保育士のいるクラスが先に園庭で遊んでいて、そろそろ交代の時間だったので私たちが1階に降りているところ、ちょうど窓から見えた景色が、次の景色でした。

2階のプールにいる幼児クラスの女性保育士たちが、下の男性保育士に向かって、かなりの水を浴びせかけていたのです。
男性保育士は、私服ですし、眼鏡もかけていて、眼鏡をはずして顔をぬぐいながら、必死に「やめてください!」と叫んでいるのですがしばらくやまず。
私は一緒に組んでいるベテラン保育士にすぐ伝えて、園長に報告してもらいました。

もちろん、子どもたちもその様子は見ています。

そんな悪環境の中で、どうやって子どもや同僚を守り、良い発達を促せるのか私は分からなくなってしまいました。

その後も、子どもたちに理不尽なことをする保育士の姿や、攻撃が私に対して向かってくることもありました。

園長に訴えたところで、やっている保育士たちは園長のことを、何も分からないし何もできない人、と下に見ているので、恐らく何も変わらない、と悲観しました。

そして、私のメンタルが壊れる前に、離れようと思い、1年間だけ耐えましたが、年度末にその保育園も保育士も辞めました。

保育士としての仕事と憧れ、厳しい現実と向き合う中での決意

初めまして、むーみんと申します。
私は短期大学で保育士資格を取得後、4年間幼児担任として勤務した後に退職をしました。

私は小学生の頃に縁あって出会った保育所で「この園の先生になりたい」と思い、保育士を目指したぐらいに憧れていた保育園に念願の就職をしました。
憧れていただけあり、就職をしてみると子どもたちの為にと熱心な先生方が多く本当に毎日やりがいの中で保育士をしていました。

しかし、子どもたちの為にと熱心になればなるほど、保育士として頑張れば頑張るほど、睡眠時間と自由時間は削られていきますし、親はこちらの熱意や思いなどどこ吹く風で好き勝手に言ってきます。

同じ保育士をしている友だちにすら「働き過ぎじゃない?」と言われるほどで心身ともに削られる毎日の中、それでも子どもたちの成長という目に見える形でのやりがいだけが心の支えで、深夜や明け方まで続く会議や12時間を越えるサービス残業もなんとも思わずに過ごしていました。

そんな私が「辞めよう」と思ったきっかけは、身体の不調でした。
原因不明の発熱、睡眠障害、胃痛、ストレスがやりがいを上回り体に出てきても栄養ドリンクや点滴で騙しだましで続けてきましたが、ある日本当に「このままでは死んでしまう」と思ったことがきっかけでした。

「子どもたちにとってよい環境=保育士の頑張り」なんです。

最低賃金、保育をしている8時間以外の仕事はすべてサービス残業、家で仕事をしている時間も含めると月50時間を越える残業に、行事の時は27連勤なんてこともありました。
保育士は子どもと遊んでいるだけが仕事ではありません。

その遊びの中でどれだけ成長につながるか、社会とのコミュニケーション力を培っていけるかを真剣に考えています。

その為の月案・週案・日案の作成はサービス残業です。
行事があれば行事の準備、保護者会に向けての資料作り。
すべて仕事なのにお給料は発生しません。

お給料が安く、ストレスを発散できるほど自分の好きなものも買えない、休みがなくて旅行にもいけない。
それでも子どもたちの笑顔と成長のやりがいだけが救いで続けていましたがこんなのは「やりがいの搾取」です。

保育士は慈善事業ではありません。
資格のある立派な仕事です。

それが認められる社会になることを心から祈っています。

保育士資格取得後の挑戦と悩み、そして新たな決断

三年前までは、保育士として働いた、Yです。

私は、保育士になるために国家試験を受けて保育士資格を取得しました。

この国家試験は、年に一度しかありません。
筆記試験を合格すると実技試験を受けることができます。

実技試験にも合格をして、やっと資格取得です。

筆記試験は、科目も多く範囲も広くて覚えるのが大変でした。

しかも、すべての科目を合格しないと実技に進めません。
何度もチャレンジし、保育士資格を取得するため何年もかけてやっと資格を取得しました。

資格を取得する前から保育施設でパートとして働いていましたが、資格取得を機に、パートから社員へとなりました。
パート時代は、決まったクラスを担当することもなく、色々な年齢の子供たちを見ていました。

社員になってからは、クラスを任されました。
今までそのような経験がなく初めてのことでしたので、ドキドキもしましたが、それよりも嬉しさや楽しみな気持ちのほうが大きかったです。

そんな気持ちでスタートを切れたのですが、初めてのことでわからないことも多く、時間が経つにつれて困ることも多々出てきました。

自分がリーダーとして、クラスに入ってくれるパートさんに指示を出さないといけないのですが、自分も動きながらどんどんと指示を出していかないといけないのが、大変でした。

初めてのことでわからないながらクラスを動かしパートさんにも指示を出していくも、足りないようでどう動いたらいいのかわからない時があるという指摘を受けることもありました。

それからは、そのようなことがなくなるよう注意していましたが、いつも気を張っていたと思います。

もちろん、大事なお子さんをお預かりしているので、常に気を張りながら保育をしていましたが、パートさんにもという思いもあり、更に気を張っていたと思います。

それでも、人間関係は良かったので、そこは働いていて良かった点でした。

他にも、大変なことがありました。

まずは、書類です。

たくさんの書類の記入があり、とても大変でした。

しかも、保育中にできないので、勤務時間が終わってからの作業でした。
この時間は、いつもサービス残業です。
家に持ち帰ってやることも多々ありました。

とにかく、書類が多くて大変でした。

次に、作り物です。
頻繁に作り物があり、これも家でやることが多かったです。

パート時代には無かった作業がたくさんあり、どれも初めてのことでわからず、自分でいろいろと参考にしながらやっていた記憶があります。

社員として働くようになってから、保育士は、時間外での仕事が多くて大変だと身をもって理解しました。

しかも、給料が安い。
こんなに重労働で事務作業も多いのに、安い給料で働いているなんて、本当に子どもが好きで保育士という職業が好きじゃないとできないなと思いました。

私は、結婚を機に県外へ引っ越しのため通勤が不可能となり辞めてしまいました。

今現在は、保育士として働くのは大変だなと思い、保育士として働いてはいません。
今は、まだ保育の仕事はいいかなという感じです。

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