保育士を辞めた人の本音体験談|新たなキャリアへの踏み出し方とは?

保育士としての日々は、子供たちとのふれあいや成長を見守ることで満たされる素晴らしい経験ですが、時には厳しい現実と向き合うこともあります。長時間の勤務やサービス残業、モンスターペアレント、人間関係の問題など、保育士として働く中で様々な困難に直面することも少なくありません。

そんな中、多くの保育士が自らの意志で保育の道を離れ、新たなキャリアへと踏み出す道を選びました。彼らが抱えた悩みや決断の背景には、さまざまな思いが込められています。今回の記事では、保育士を辞めた方々が語る、その本音の体験談を紹介します。

彼らがどのような状況で辞める決断を下し、どのようなキャリアチェンジを遂げたのか。そして新たな道に踏み出す際、彼らが感じた不安や喜び、成功と失敗についても率直に語っていただきます。辞めた後の生き方について模索し、自らの可能性を広げていく姿勢に共感することで、新しい一歩を踏み出すヒントを見つけられるかもしれません。

保育士の経験者だからこそ、彼らの本音が伝わるこの特別なインタビュー記事。新たなキャリアに悩む方や転職を考える方々にとって、勇気と希望を与える存在となることを願っています。さあ、彼らの心に寄り添いながら、新たな未来への扉を開いてみましょう。

保育士からの転職体験記

以前、保育士をしていましたが今はもう退職してしまい、他の仕事についている者です。

私は自分が長女で、兄弟も下の子たちがいた為、昔から小さい子の面倒をみる機会が多くありました。

物心つく頃には、大人になったら保育士になりたいと思っていました。

小さい頃にピアノも習っていましたし、小さい子の面倒をみるのいは慣れていたので保育士になることを楽しみにしていました。

大学にも通い、国家資格を取ったりと道のりは大変でしたが保育士になれた時は嬉しかったです。

ですが、現実は思っていた以上の重労働でした。

朝は親御さんからの連絡などがくる為、6時には出勤していなければなりません。

0才から6才の乳幼児なので、働いている間はいっときも気をぬくことが出来ないですし、当たり前ですが目が離せません。

ぐずりだしてしまう子もいる中で、その子の相手をしてる間にも周りに常に目を向けておく必要があります。

絵本やおもちゃなどで遊んだり、トイレの面倒も。

体調が悪くなってしまった子がいると、当然親御さんにお知らせしなければなりませんが、電話をする前は腹を決めてからでないと無理でした。

人によっては保育園のせいにしてくる方もいらっしゃいます。

乳幼児なので、いつ何が起きるかわかりません。

もともと喘息持ちの子や病弱な体質の子、暑さに弱かったり寒さに弱かったりする子ももちろんいます。

一人一人に最新の注意を払い、安心して預けてもらえるようにできる限りのことは尽くしていましたが

それでも人手不足なのもあり、残業が続いたり、運動会などのイベントがある期間はまさに過酷な労働環境だったと思います。

大きな事件や事故があったとか、嫌がらせがあったわけではありませんが、自分の中の体力と気力が先に尽きてしまい
結果、やめることとなりました。

仕事内容や時間も原因ではありましたが、次第に子供の面倒をみること自体が、負担になっていたかもしれません。

私のメンタルが弱かったのかもしれません。

今となってはあの当時はもう思考が停止していたかのように思います。

以上です。

保育士を諦めた30代の転職ストーリー―新たな挑戦と幸せの発見

ハンドクリームです。

短大を出てすぐ私立保育所に8年間勤めました。

20代だったから働けたと思います。
年齢を重ねてできる仕事ではないと思っていたので転職できるよう動きました。

保育士をあきらめたのは体力面できつかったからです。

平日は9時ぐらいに寝ないと次の日一日持たないし、9時に寝たとしてもフラフラで帰宅します。

もともと体力はない方なので、しっかり食べる、寝るは心掛けていました。

それでも子どもたちの10時の休憩やお昼ご飯、昼寝など座って介助するようなときにふと気が抜けていることがあることに気が付きました。

保育士の仕事は子どもたちを預かり、安全に気を配ることが第一に挙げられます。

子どもたちが生活している間、一切気が抜けるようなことは許されません。

最近では、ちょっとしたケガや擦り傷なども保護者の方から説明を求められるのでどんなことがおきたのか説明できるよう常日頃見守り、注意が必要です。

それが出来ていないと自分で気が付きました。

命を預かる仕事なので、小さなことでも見逃さないを繰り返えしてきたつもりでしたが、小さいことも見逃して命を守っていると胸張って言えないなと怖くなりました。

大学時代での教育実習でさえ、体力のなさに落ち込んだのですが働いてみるとやはり体力がないとやっていけないと思い知りました。

20代だからできる仕事だと割り切って、休みの日にパソコン教室に通いました。

ワード、エクセル、パワーポイントを一通り習いマイクロソフトの検定に合格しました。

現在は事務系のパートをしています。

年配の方でも保育士として働いている方はたくさんおられます。

それでも、私の場合は30代で保育士として働ける自身もなく辞めました。

平日9時に寝るということは、平日は仕事以外何もできないということです。

趣味や友達と会う、結婚なんか考えられない生活です。

こうなってくると、何のために働いているのかもわからなくなってきました。

責任の重い仕事でありながら、給料は安く、体も心も壊しがちな仕事です。

早めに転職出来て良かったなと今は思っています。

当時、お給料が倍あったとしても30代ではやっていけないのは変わらないので辞めていたと思います。

毎日会うので言いやすいのか保護者の方の相談窓口になるのも重荷になります。

子どもさんのためと思って話を聞きますが、相談は他で請け負ってほしいのが本音です。

保育士の想い―新たな環境で子供たちに楽しさと成長をもたらすために

朱雀です。
私は保育士にになりたいと思ったのは自分が保育園に通っていて楽しかった
思い出が多かったので自分も保育士になって小さな子供達に楽しくすごしてもらいたい
と思い希望しました。

保育園では、一方的に上司が言ったこと、決めたことをしなければならないような状況でした。
クラス担任である私の意見を言っても、聞いてもらえることはなかったので、私は自分の意見も出せる場所で仕事がしたい、自分の成長につなげたいと考え転職を決意しました。
例えばイベント行事で効率よく準備ができる方法を提案すると今までのやり方にこだわりをもっている先生方はいい顔をしないことが多いです。

効率よくやろうとすると手を抜いてやりたいのかと思うらしいです。
それに対応していかない人はできない人に対して突き放すような、厳しい態度を取る職員が多く、相談やコミュニケーションによって解決していこうという姿勢はありませんでした。

私は保育士になった理由は子供達に楽しくすごしてもらいたい。
しかし園ではきちっと整列させること、足並みそろえて歩くことにすごくこだわりがありました。
確かに集団行動において規律を守って生活することは大事かもしれませんが、私はもっと幼児期には大事なことがあるのではないかと思うことがありました。

給与面は悪く自分が成果をだしても評価されることはなく、給与には反映されませんでした。
様々な行事の責任者や、新人保育士の教育係を行っても、何も評価されずモチベーションを失いかけたこともありました。
成果をきちっと評価してもらいたいです。

自分の時間がとれないほど残業時間が長く、もっとメリハリをつけて働きたいと思うようになりました。
オンオフがしっかりとすることで、就業中にやってしまおうというメリハリのある仕事ができ、貢献もできると思っていました。

先輩保育士よりも先には帰れない職場で、仕事が終わっているのに毎日遅くまで残ることになったり、突然仕事を申し付けられ、結果持ち帰り仕事になったりと、効率的ではない職場でした。
私はもっと能率的に仕事し、高い成果を出しいきたいです。

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