保育士から一般職へ転身!厳しい環境からの脱出と新たな日々の始まり
つい1年ほど前、保育士の仕事を退職し、しばらく無職期間をもうけ、心身をリフレッシュさせ、今は一般の事務系の職場に勤めておりますハンドルネーム、ピーチと申します。
とにかく保育士としての在職期間中の環境はひどいとしか言いようがありませんでした。
私はどちらかと言うと田舎の方に住んでいるため、ただでさえ安い給料の相場がさらに安く、総支給額およそ14万程度手取りにして12万円程度の金額で生活しておりました。
毎日生活はカツカツでその上職場での激務、周囲はほとんど全員幼児という環境で子供達から強力な風邪、インフルエンザ、おたふく風邪などの病気をうつされることは、日常茶飯時であり風邪気味でない日がないほどでした。
ただでさえ金銭的に厳しい生活だったのに、これでは病院代もばかになりません。
強力な病気をもらい病院に行くたびに必死に稼いだお金を、こんな有意義ではない使い方をしないといけないだなんてと憂鬱な気持ちになっていました。
それに、奨学金を使い保育士の専門学校に通いやっと就職ができたのに、この一般職より激務で金額が低い職場に勤めるなんて、モチベーションがもう持ちませんでした。
職業の性質上やはり職員はほとんどの人間が女性で、人間関係などはもうお察しの通りでした。
園長先生が職場では一番えらく明らかにおかしなことを言っていたりしても、言うことを聞くしかありません。
いじめもかなりあり、大人しそうで気の弱い新人さんは、いい子だったのに周囲の人間関係に潰されそうそうにやめて行きました。
私も数年間その職場で保育士としてお仕事を頑張っていたのですが、人間関係のさらなる悪化に伴い、なんとなく体調が悪いなという変化を皮切りに、毎日の吐き気眠れ、深夜眠れなくなる、憂鬱な気分になるなどの症状が起き始め、ついに耐えられなくなり、病院を受診、不眠症のような状態になっている、このまま仕事を続けるとさらに体調を崩す、とドクターのアドバイスを受け、勇気がいりましたが、思い切って職場を変更することにしました。
現在は一般職につき、やはりそれなりに大変なこともありますが、穏やかな日々を送っております。
保育士の実態とジレンマ:給与と負担の不釣り合いに苛立ちを抱く現実
幼い頃からずっと憧れていた保育士になる事が出来た私は、どんな仕事になるだろうと楽しみな気持ちばかり期待して就職しました。
働き始めてみると、どこのクラスも人手不足で、どこのクラスも子どもと丁寧に関われているとは言い難い状態でした。
有給はもちろんありましたが、体調不良ならまだしも旅行などのレジャーで休む事は後ろめたい雰囲気がありました。
誰かが休むと、どこかのクラスでギリギリの人数配置で保育をするとわかっていたからです。
正職員の人数に関しても、働き始めるまではもっとたくさん配置されていると思っていたので、パートの方の比率にも驚きました。
パートの先生にも良い保育をされる先生はたくさんいますが、時間が来たら退勤されてしまうので、残った事務仕事や行事の企画などはほとんど正職員で行わなければいけないんです。
パートの先生に任せるのは、保育の他には簡単な作業や掃除などしかありませんでした。
私は臨時職員の期間を経て3年目から正職員になりましたが、たいして手取りのお給料も変わらず、責任だけが増えたので、それならいっそパートになりたいと思ったほどです。
勤務時間に1時間の休憩もありますが、連絡ノートの記入で時間を全て使ってしまうので、実際のところは休憩ではありません。
普段の業務以外にも、平日の夜や土日にも研修会などがあるので、行事とこれらでかなりの休みが潰れます。
私は結婚を機に保育園を辞めました。
保育士をしながら子どもを産んで、育てながら働くのは難しいと感じたからです。
実際に、小さい子どものいる保育士の先生は、正職員として働く事に悩んでいました。
自分の子どもを預けながら、他人の子どもを見ている事にジレンマを感じるからだと思います。
私も想像ですが、その気持ちは十分に理解できました。
そのジレンマを乗り越えることが出来るほどの賃金がもらえません。
命を預かる職業なのに、世の中に軽く考えられている、誰でも出来ると思われていることに苛立ちを感じています。
保育士の過酷な現実:給与と労働条件の不釣り合いに苦悩した日々
はじめまして、ゆるりです。
短大を卒業してすぐ、憧れの保育士になれ最初は夢がかなってウキウキでした。
しかし、現実の過酷なこと。
三社の保育園を経験しましたが、どこも同じような感じでした。
仕事の持ち帰りは当たり前。
タイムカードはあってないようなもの
残業当たり前。
女の世界で上下関係も厳しく、上の人が帰るまで帰りにくい、新人は特に上の人の仕事まで請け負う勢いで常に動いていないといけない。
有給をとるのも気を使うので本当に休みたい時に休めないし、旅行なんてもってのほか、保育士の人数もカツカツでやっているので自分が病気で休もうものなら他の人に負担がかかるので、病気で休んでいるのに、休み明けには菓子おりを持って各クラスに「お休みしてすみませんでした」と詫びを入れにまわらないといけないし、有給のあとも「お休みありがとうございました」を全員にいって回る
好きにとれる休みでもないのに、毎回お菓子やお土産買っていかないといけないし、給料も安いのにすごく負担でした。
おやすみくらいゆっくり休ませてって毎回思ってました。
当時はそれ程、労働基準も厳しくなく、有給もほとんどとれずに毎回一年終わっていました。
病欠が有給に回されるだけなのでほんと微々たるものです。
上の人にビクビク、保護者の方に気を使い、家に帰ってからも出来なかった作り物、休みも少なく、労働時間は長いのに給料は安い。
そんな過酷な状況の中で働いて、子どもたちとは笑顔で接する。
そんな人間離れしたこと求められても
神経図太い人や世渡り上手な人は上手くやってました。
でも、子どもが好きでって思いだけでは続けられるものではないです。
特に新人から三年目くらいまでは上の先生と保護者との板挟みに会うこともほとんど、人間関係がよければ、もっと上手くいくのにと思うことが多々ありました。
意見もいえず、失敗したら自分の責任、お手柄は上の人のもの、ただただ上の人の言いなりといった毎日が嫌になって、疲れて、休みもなくというのが辞める理由でした。
ほんと、そんな状況で子どものことも笑顔で見れなくなった自分が嫌になり、自信をなくし、逃げました。