保育士を辞めた人の本音体験談|新たなキャリアへの踏み出し方とは?

憧れの保育士職、給与とクレームに悩んだ日々

実家から通勤している「地方の保育士」です。宜しくお願いします。
わたしにとって、保育士は憧れの職業でした。大好きな子ども達と過ごせることが仕事なんて、それ以外の選択肢は考えられませんでした。

専門学校を卒業し、実家から通える保育園に就職しました。1年間を通じて子ども達の成長を感じることができたり、はたまたかわいい仕草に癒されたりと、わたしは「夢がかなった」「保育士になれてよかった」と思っていました。

就職して数年がたち、仕事にも慣れてきたころ、園長から「半年間、4才児クラスの担任をまかせたい」と言われ、緊張もしましたが何とか半年間を過ごすことができました。自信もついてきて、仕事が楽しくてたまらない頃でした。

それから担任をまかされることが多くなり、後輩の保育士も就職してきて、充実した生活をしていたはずだったのですが、同時期に2つのことが起こりました。ひとつは、わたしの気持ちの問題です。

やはり何といっても給料が安いのです。実家に両親と同居しているので、家賃はいりませんし夕食も準備してもらっていたので生活はできていたのですが、ふと疑問を感じました。「今の給料と勤務時間では、アパートに一人暮らしもできないし、この先結婚は考えられない」ということです。

未来の夫が給料が高ければいいのですが、夫婦ともに仕事をするとなると家事もしなくてはいけません。その当時の業務内容からは、自宅に帰ってから料理をして掃除・洗濯をする余裕はありませんでした。しかも何しろ薄給でした。

もう一つは園児の保護者からのクレームです。保育士は子どもだけを相手にしていればいい訳ではありません。大事な子どもを預けている保護者の言動はとても気になります。当時、毎日必ず保育園での子ども達の様子をお手紙に書いていたのですが、ある保護者から「わたしへの手紙だけいつも短い」というクレームがきました。そんなつもりはなかったのですが、園長にまでクレームを言われ、へこたれてしまいました。

しばらく悩みましたが、一旦その保育園は退職しました。

保育士の葛藤と決断 – 愛する子どもたちとの別れ

私は主担任として3才児クラスの担任を任されていました。
2人担任がおり、もう一人の担任の先生は新人の女性でした。

クラスにには法的に定員MAXの人数がおり、そのなかには3人障害が疑われるが認定されていないもしくは保護者が認めない子どもたちが含まれており、認定されていないので保育士を増員することはできませんでした。

そのなかでも1人の男の子はとても症状が重く、ほとんど1対1で対応しないと、他の子を噛む・ひっかく・殴るといった凶暴性があり一瞬でも目を離すと大怪我につながりました。

私は障害のある子を担当したこともあり、障害についてのセミナーにも何度も参加いたため、その子の落ち着きのなさや手が出てしまうこと、どういった対処をすれば落ち着くかが分かり、その子も私が1対1で対応している際は1人遊びを始めたり少し余裕がでてきました。

しかし、それだとクラスがまわりません。
新人の女性保育士はクラスの運営が分からず(当然です)、障害のある子を見るのも初めての為、動揺してしまい私がクラスをまわして新人に障害のある子をお願いすると他の子が怪我をしてしまい被害を受けた保護者からものすごいお怒りの言葉を受ける・・・。

それでも、その子を見ながらクラスをまわすことにして(新人に教えている余裕はありませんでした)休憩は全くとらず、保育士を続けました。

翌年、あまりの大変さにうんざりして保育園を去りました。

本当はうけもった子どもたちの卒園姿も見たかったですし、子どもと関わるのがすごく楽しかったため続けたかったです。

ただ自分の心と身体を守るためには保育士をやめることしか道はありませんでした。
また新たなクラスをもったり、他の園に移れば気持ちも変わるかもしれないとも考えましたが、その気力がありませんでした。

今はどの園も保育士不足なのでどこも似たようなものだろうという諦めもありました。
ただ一ついえるのは子どもたちと関わっていた時間は嘘偽りなく本当に幸せでした。

保育士7年目の挑戦と成長 – 先輩保育士として後輩をサポート

保育士7年目です。

新人社員として、入社したのが7年前です。
4年間勤めました。

保育士として働く中で一番大変だったことは、サービス残業の多さです。
大量の制作物と、書類に追われて睡眠時間も、削られました。
残業代がつかない現実と給料の低さに、幻滅しました。

辞めるのを決断した時は、4年目だったので仕事の要領は掴めてきた頃でしたが、4年勤めたら辞めるという固い意志があったので二度と正社員はやるものか、と、退職を決意しました。
人間関係は割と良い方でしたが、仕事の量と給料が割りに合わないのが一番の理由でした。

行事の用意とかも大変ですが、子供が好きで子供が頑張る姿を見るととてもやりがいがあるなと実感していましたが、肉体的に辛かったです。

4年間勤めた会社を退職し、就活しました。
しかし、今までの経験上から、事務職の面接には断られ、職のない生活に焦りました。
やはり、保育士不足と言われてる今、保育士の求人ばかり。
パートで、保育士の再就職を決めました。

しかし、今までバリバリに正社員で働いていたこともあり、パートでは、物足りなさを感じました。

一年勤め、退職をし、再び他の保育園で正社員として、働き始めました。
2年目になりますが、自分の中で、時間を決めて、仕事とプライベートを完全に分けるやり方を身につけ、要領よく、仕事がおこなえるようになった今は、ストレスに感じることがなくなりました。

保育士は2.3年勤めたところで語れるものではないと今は感じています。

経験があったこそ、今があると思います。
7年目として、若い子達に仕事の方法を伝えていきたいと思います。

初心を忘れずにいることで、後輩たちが嫌な思いをせず働けるような環境を作るのが先輩保育士の役割だと私は思います。

わたしの経験から上司の中に人の悪いところばかり指摘する人がいました。
人の好き嫌いが激しく、差別していました。
また、仕事ができるできないを評価しできない人にはとことん指摘する。
保育士は当然辞めていく現実。
もう、保育士なんかやらないってなりますよね。
そのような、上司が減れば保育士を辞めることなく、続けられる環境になるのではと考えています。

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