保育士の勇気と使命―虐待に立ち向かい、子どもたちの幸せのために
子どもの頃からの夢だった保育士。
大学を卒業後、就職した園は地元の保育園。
同期はおらず不安でしたが、夢が叶った嬉しさで胸はいっぱいでした。
わたしが入ったのは1~2歳が30人いる未満児クラスで、先生は5人在籍していました。
お局クラスリーダーと、中堅先生と、まだ新人先生。
仕事内容は覚えるまでが大変でしたが、少しずつ慣れ、楽しくなってきた頃でした。
わたしが異変に気付いたのはその頃でした。
お局先生の、子どもの扱いがどうも気になるのです。
雑、流れ作業、と言えばまだ聞こえは良いのですが、わたしが感じたのは「虐待」。
例えば、給食中におもらしをした子を放置する、ふざけて子どもを柵の中に入れて「見て、動物園のサルみたい」、布団で挟み込む。
している先生も、見ている先生も狂っていると思いました。
長く同じ園にいると、「おかしい」ことが「当たり前」になるのですね。
悩みに悩み、警察へ相談に行くことにしました。
その後、警察から連絡が来たようで、職員会議でその話が上がり、先生たちは慌てふためいていました。
しかし、やがて通報の内容から「もしかして内部告発?」と…。
内部告発は新人のわたしが妥当だろうと勘付かれ、残りの半年はとてもいづらいものでした。
直接的に何か言ってくる先生はいませんでしたが、腫れ物に触るようような物言いだったり、今年度で辞めます、と伝えてからはあまり注意を受けることもなくなりました。
教育しても仕方がないと思ったのでしょうね。
1年で退職することになってしまい、あとから振り返ってみてもわたしのしたことは間違いだったんじゃないか…と後悔することも多々ありました。
しかし、子どもを産んで母になり、保育園に預ける立場になった今、もし子どもがあのようなことをされていたら、と考えたら、怒り以外の何物でもありません。
虐待は、した側判断するものではなく、された側が判断するもの。
まだ小さい子どもたちがどう感じたかわたしには分かりませんが、嫌な気持ちになったのは確かでしょう。
そう思えば、体当たりで園に立ち向かって良かったと少しは思えました。
この園にこりずに、また保育士になりたいなという気持ちもあります。
もちろん、お局先生には負けません。
子どもたちの幸せな毎日のために頑張りたいです。
保育士の夢と介護への転職―夢破れた辛さと新たな道
私は空歩といいます。
現在は介護の仕事をしています。
私はもともと保育士として働いていたのですが、転職して現在の介護士となりました。
昔から子どもが好きだったので、保育士になろうと思い、高校卒業後、保育士の資格が取れる短大に進学しました。
当時、保育士になる男子生徒は皆無で私もクラスで一人だけの男子でした。
短大の先生からは、保育園のバスの運転ができるよう大型免許の取得を勧められたので、在学中に大型免許を取得しました。
大型免許のおかげか、卒業後、民間の保育園に就職が決まりました。
初日に園長から
「貴重な男手だから、最初は保育よりも営繕作業や環境整備、バスの運転を主にやってもらって徐々に保育にも参加してもらうから」
との方針を伝えられました。
それからは朝晩のバスの運転と園内の草刈りや庭木の剪定といった環境整備をこなしていきました。
また園には壊れた箇所がたくさんありました。
女性ばかりで修理できず、予算の都合上、外注も難しく放っておかれていたのですが、DIYご趣味だった私は少しずつ、修理していきました。
すると他の先生はとても喜んでくれ、私を誉めてくれました。
新社会人だった私は、必要とされ頼りにされた喜びから、より一層頑張りました。
系列の他の保育園や幼稚園も男手がなく、修繕箇所や環境整備の仕事がかなりあったので、私は何かと呼び出されて、様々な作業を行いました。
しかし保育の方はお手伝い程度しかできませんでした。
一応担当のクラスはありましたが、アシスタント的な立場で、保育士と名乗って良いのかな?と思えるくらいでした。
その状態が6年ほど続きました。
ほとんどバスの運転手兼用務員のような扱いで、あまり保育にも参加できず、系列の園をクルクル回って作業ばかりの毎日でした。
園長に何度も相談したのですが、全く改善が為されません。
そのような作業も子ども達のためだと思うようにしましたが、やはり保育を中心にやっていきたいという思いは強く、覚悟を決めて園長と話し合いました。
しかし、系列の園も含めて、園内でのポジションが決まってしまい、それに合わせた採用を行ったので、難しいとの結論でした。
私は退職を決意しました。
他の保育園を探そうと思いましたが、たぶん同じようなことになると思い
、友人の紹介で介護の仕事を始めました。
保育園の仕事は、サービス残業は当たり前で、労働時間も長く休みも取り難かったのですが、一番辛かったのは保育士らしい仕事ができなかったことです。
今でも保育士だったと言って良いのかわからないくらいです。
他の保育士の人からすれば、随分贅沢な悩みかも知れませんが、夢が破れた辛さは変わらないと思います。
理想の保育士の夢と現実のギャップ―辛い経験からの決断
楽しい仕事だと思って入ったのに、保育士はつらい仕事だった。
2021.11.22
私は、昔から子供が大好きだったので保育士という仕事にすごく憧れを持っていた、
なので中学生に入るころにはもう将来の夢は保育士であることが決まっていた。
いざ夢の保育士になってみると現実は自分の理想とは真逆の世界であった。
同僚や上司はとても良い人達であったが、親御さんたちがとても口うるさく、
私の精神その親御さんのせいで無茶苦茶になった、今でも顔を思い出すだけで
吐き気がしてくるほどである。
具体的にどういったことがあったのか上げていくと、
私が勤めていた保育園ではお昼の食事の後にいつもプリンや、ゼリーといった
スーパーで買えるような100円程度のお菓子を園児に配るのだが、
その日、入園してきた園児の親から連絡があり、「うちの息子になんてものを食わすんだと」
わめき散らすような電話がかかってきた、その親御さんが電話の後から、30分もしない
うちに、保育園まで来てクラスの担当の先生とその補佐役をしていた私たち二人を呼び出し
怒鳴り散らした。
どうやら、その園児が家に帰った後、初めて食べたプリンがとてもおいしいと言ってお母さんに
話して、母親がもしかしたら安いプリンをうちの息子に食わしたに違いないと思い
電話してきたそうだ。
その母親は30歳前半で見るからにお金持ちそうな感じであったが、ここまでぶっ飛んだ
発言をするような人とは最初は、思わなかった。
園児を返す時にその保護者と会っていたのだが、その時は「ありがとうございます」といっていて
とても穏やかで、感じの良いイメージであったのでまさかここまで言う人とは、思わなかった。
私たち二人は、保護者の怒りを鎮めるべく必死に謝ったが、相手は
ヒステリックを起こしていて何を言っても怒鳴り散らす一方であった。
その日はなんとか園長先生が場を収めてくれだが、私の気持ちはもう
この保育園にはいきたくない辞めてしまいたいという気持ちで
あふれていた。
そして、私は入って数か月後にそこを辞めた。