保育士を辞めた人の本音体験談|新たなキャリアへの踏み出し方とは?

保育士としての経験を振り返る―ブラックな環境と向き合いながらのキャリアチェンジ

20代で短期大学を卒業してから、30代の中頃まで保育士をしていたMARIと言います。
年齢を重ねる毎に保育士の仕事が体力的にキツくなってきて、並行して資格の勉強をしていたので、その資格を活かした仕事をすべく退職しました。
仕事内容自体は好きではあったのですが、いわゆるブラックな業界で、やはり待遇とお給料が安いのはモチベーションを下げる大きな要因となっていました。
まず、朝から深夜近くまで働いても残業手当はつかず、サービス残業が横行していました。
朝から夕方までは保育の仕事、そしてその後は行事に向けて準備をしたり、事務的な作業に追われていました。
また、保育士の仕事は園長によってブラックであるか、少しマシなグレーであるかが大きく分かれてきます。
最初に居た保育園では園長のえこひいきがあり、気に入っている職員とそうでない職員では、仕事量も給与もだいぶ異なる状態でした。
気に入られている職員は、何かと名目をつけて特別手当があり、役職も与えられていましたが、そうでない人はずっと下っ端のまま。
そしてその役員は園長の親戚筋である事が分かり、ずっと上にいるままなので私のような下っ端がどんなに頑張ったところで環境が改善される事はありません。
また、女性だけの職場ならではの陰湿なイジメのようなものもあり、二年でその園は退職しました。
次はチェーン展開している園に入社しました。
そこは制度は最初の園よりもマシではありましたが、やはり仕事量の多さは変わらず・・・ただでさえ、保育士は体力勝負なところがありますが、削られてゆく睡眠時間と、理不尽な作業の多さ、女性同士の環境の悪さ、そしてずっと人手不足で終わる事の無い仕事量・・・この先一生続けられる仕事ではないと強く感じました。
そんな中、日ごろの無理がたたってか、自律神経失調症になってしまい、精神的、体力的にも無理だと感じました。
子供と接する仕事はとてもやりがいを感じていていたため、凄く心残りではありましたが、資格を取って退職して、キャリアチェンジを行う事にしました。
今では前職よりも短い勤務時間でお給料もアップしています。
あれだけ大変なのに報われなかった保育士時代の事を考えると、すごく悔しいと共に、こういった環境がやる気のある人を潰してしまうという事をつくづく感じます。
どうか環境が改善されるよう強く願います。

保育士の悲痛な訴え―現場の人間関係がキャリアを崩壊させる原因とは?

7年保育士として働いたルイと申します。私が保育士を辞めたのは、現場の酷い人間関係が原因でした。

幼い頃からの夢だった保育士。
その夢を叶えるためならと、どんな辛い実習も試験も乗り越えててきました。
そして、やっとその夢が叶い、希望に満ち溢れた状態で保育士になりました。

しかし、実際の現場は壮絶なものでした。

1年目の時に配属されたのはフリーという立場で、各クラスの補助に入るという立場でした。
女だけの世界。
驚くほどの厳しい上下関係で、先輩には重い荷物を持たせてはいけない、常に先輩たちの動きを把握して先回りして雑用をこなす、理不尽なことでも、先輩がダメと言えば意見することも、反論も禁止、お茶出しからコピーなど、OLさんでもあまりやらなくなって来ているような雑用が中心で、保育士という仕事とは程遠いような、ただの雑用係と先輩たちのお世話係でした。

子どもたちと接する時間も少なく、1年目は特に、何のために保育士になったんだろうと葛藤することが多かったです。

2年目以降は担任を持たせてもらえることになり、やっと保育士として仕事ができると思っていました。
やりがいを感じ始めた反面、ペアを組む先輩次第では、常に叱られたり、八つ当たりされたりすることも多く、毎日のように辞めたいと思うようになっていきました。

1番辛かったのは、職場の人間関係。
先輩に気に入られないとそこに居場所はなく、ゴマスリが上手な人ほど出世していく世界だったこと。
良い先輩ほど、寿退社などでどんどん辞めていってしまう現場だったので、残る先輩や主任は売れ残った、癖ありの人たちばかり。
主任という立場にも関わらず、揉め事に巻き込まれたくないからか、救いの手は差し伸べてくれない。
1~2年目の先生なんかは、精神的に限界が来て、病んで辞める人、ある日突然連絡が取れなくなり飛んでしまう人もいました。

そんな現場でも、子どもたちのためと数年続けていましたが、私がもう続けられないと思ったのは、とある先輩の妊娠によるいじめでした。

結婚後も続けていた先輩で、他の先輩とは比べものにならないくらい、後輩思いで、子ども思いで、どんなに上司に辛く当たられても、その先輩がフォローしてくれたから続けてこれたという先生も多かったです。

その先輩に妊娠が発覚した途端、上司は妬みもあってか、いじめと思われるような態度や行動ばかりするようになりました。
そうしたストレスもあって、先輩は切迫流産で入院し、退職することになりました。

その事件があって、もうこの現場にいても、自分にとってのプラスはない、この現場にいたら自分の将来も潰されると思い、退職に至りました。

保育士は激務です。
給料も安く、休みも少ない。
持ち帰り仕事も多いです。
それでも子どもたちの笑顔のため、保護者の感謝の言葉に背中を押されて、みんな日々の保育に取り組んでいます。
しかし、そんな先生たちを追い詰めていくのは、安い給料でも、辛い仕事量でもなく、現場の人間関係です。
今、政府は色々な対策を考えてくれていますが、現場の改革が何よりも1番大切なことなのではないかと私は感じています。

保育士の厳しい現実―職場の嫌がらせと持ち帰り業務の辛さに参った5年間

現在27歳の女性のまゆと申します。
幼い頃から、幼稚園の先生に憧れており本格的な夢になったのは、中学生の頃でした。
高校生からピアノ教室に通い、努力をしたのですが、技術が身につかず、断念して保育士となったのが、20歳の時です。

保育の現場に変わり無い、と夢と希望を持って勤め始めたのですが…
とにかく、先輩からのチクチクした嫌がらせや嫌味のオンパレードに、あぁこれが噂に聞いていた女社会の嫌がらせかと、感じました。

挨拶を無視されたり、意図的にぶつかられることは、日常茶飯事で、私のやることなすこと全てが気に入らないようで、なにもかも否定されていました。

そんな毎日にほとほと嫌気がさしましたが、みんな大人だし、すぐに飽きるだろうと耐えられたのは、やはり子どもが可愛かったからです。

しかし、翌年から、毎年1人だけ入ってくる後輩は先輩方の嫌がらせに耐えきれず、すぐに辞めてしまうので、私はずっと下っ端扱いでした。

私が勤めた保育園は、アットホームな雰囲気を売りにしている小さな園でしたので、職員も多くありません。

その為、自分の考えも発言できず、ただ怒られないように、ひたすらご機嫌伺いをして働く毎日でした。

何よりも辛かったのは、毎日休憩無しでサービン残業込みの10時間労働をしたのちの、持ち帰り業務でした。

書き仕事や、制作物の多い職業ですし、仕方の無い事なのですが、園で空き時間を見つけてこれらの業務をすると、私だけ、そんな仕事は家に帰ってからしろ、と先輩方に注意を受けるのです。

今となっては、馬鹿らしいのですが当時の私は誠実にその言いつけを守り、帰宅してから毎日2時間、持ち帰りの仕事をする生活を繰り返していました。

そんな生活が5年続いたある日、とうとう精神的にも肉体的にも参ってしまい、身体を壊し、入院することになったのです。

その時は、申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、退院後に体調管理も出来ないようなあなたのせいで、こちらはものすごく迷惑をした、と怒鳴り散らす主任を見て、あぁ、もうダメだと心が折れてしまい、その年で保育士をやめました。

子どもの健やかな成長を手助けするはずの保育士が、優しいとは限らないと学んだ出来事です。

今は結婚して、専業主婦として毎日平穏に暮らしています。

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